すくすく大きくなーれ!!

胎盤早期剥離により25週たったの800グラムで息子がまさかの生誕(*_*;)
nicu入院から退院、その後の成長記録

“お腹の子”誕生

私、一人目の時逆子がなおらず帝王切開で出産してたので、なんとなくの流れは知っていました。


服をぬがされ、尿管入れられ、つけているピアスや指輪ははずされ

ここまでは一緒だったのですが


このあと、全身麻酔をかけるとのこと


私、一人目を妊娠する前に一度初期流産をしており、

そのときも全身麻酔だったので深く考えなかったのですが


というよりもう痛すぎてそれどころでもなく

言われるがまま

はい、と返事するのがやっとの状態で(´д`|||)


「今から麻酔かけるのでゆっくり深呼吸してくださーい。すこーし苦しくなりますが大丈夫ですからねー」と、

先生に優しーく言われて

言われるように吸って吐いて吸って吐いてを繰り返していたのです。

が…

ん?

息がだんだんできなくなり

『くっくるじぃーー』となり、

苦しいので思わず手足が動いたのですが、押さえつけられ

『どこがちょっと苦しいなのよーー』

と思ったと同時に

『ぐふっ』

…そこから記憶はありません。


目を覚ましたらもうすでにICUのベッドの上でした。

しばらく何があってここにいるのか忘れてました。

でも帝王切開後なので、今度は傷でお腹が痛い。

『あ、お腹切ったんだったわ』

と。

ようやく思い出しました。


そして、色々説明されたと思うのですが、麻酔から覚めた後だからか記憶があやふやにしか残ってない。

とりあえず覚えているのは

書類にサインしてくださいと麻酔科の先生。

この状態でサインするのかい

と思いながらサイン…

すごい汚い字で仕上がりましたよ。。。


横には夫がいました。

そして

お腹の子の写真を見せられ

このときやっとお腹の子のことを思い出したのです(--;)

すまない息子よ…

しばし忘れていた母を許しておくれ…

でも何故頭から抜けていたのか謎です(´д`|||)

今なら、

普通一番にどうだった??

と聞くだろうと思うのですが……


写真で見せてもらった次男は、しっかり人の形をしていて驚きました。

だってまだ25週だったので、こんなしっかりできあがってるとはおもわなかったのです。


私「いやー小さいけど、しっかり人の形してる

て、なんか私に似てる?」

夫「似てる」

と、そういうやりとりを何度かしたあと

夫「胎盤が剥がれて酸素がいかなかった時間があって仮死状態だった、この仮死状態がどう影響するかはわからないと言われた

明日かもしれないし、一年後かもしれない、何年後かに障害としてでてきたりすることもある」

と説明されたと聞かされました。

「そして油断はまだまだできない」とも。

このとき本当にとんでもないことが起こってしまったんだなと思いました。


「この先何があってもしっかりと育てていこうね」


と、夫と話をしたのをおぼえています。


そのあとは、また眠気に襲われ寝たり目が覚めたりを何度か繰り返します。


次男が産まれたのは

AM5時頃だったみたいです。

大学病院へ搬送

救急車で搬送される間も腹部の激痛は継続中でした。

お腹も板のようにカチカチに固くなっていました。


あとよく聞く

救急車は揺れるので乗り心地悪い

というのは本当でした(--;)

本当に揺れまくります。

腹部の激痛に追い討ちをかけるかの如く揺れる揺れる(-_-;)


でも激痛と揺れがMAXな中

このときすでに朝方…

もう4時間近く腹痛に耐えていて、眠気もMAXに…

眠い…けど痛いー揺れるー

どうしようもなかったです。


そして救急車にて大学病院に到着。

タンカーで手術室まで運ばれ、


「○○さんがんばりましょうねー」

と、先生に言われ、

エコーをしたみたいで

そのあと

「急いで出すよー」

っと、

ドラマで見たことある

というようなやりとりが手術室でくりひろげられました。

やっと産婦人科到着

真夜中だったこともあり、

道はすいていてすいすいーっと目的の産婦人科まですんなりとたどりつけました。


産婦人科につくなり、助産師さんに案内してもらい、エコー台へ…


上の息子、母ちゃんいなくなるわでいきなりのことに驚いて、産婦人科の待合室で大泣きΣ(´□`;)

まだたった二歳半…そりゃそうか。。。


あのとき入院されてた方

さぞうるさかっただろうなと…

申し訳ない(´д`|||)


話は戻り、

先生登場で

まず、胎児心拍をひろおうとマイクらしきものをお腹の上でごそごそ

動いている感覚はあったので心配はしてなかったのですが、

心拍は確認とれると、やはり

ほっ

としました。


そしてエコー


先生「うーーん…このあたりに嫌な出血があるなー」


私「えっ…出血…ですか…」


先生「おそらく早剥かな」


私「ん?そうはく?」


『そうはくてなんですかーー!!??』

て心のなかで叫びましたね…

私、そのとき

胎盤早期剥離なんていう言葉自体知らなかったんです(*_*)

二人目にして初めて耳にしました。


先生「このままだと母体が危ないから母体保護のためにすぐに子供を出さないといけない」


私「子供はどうなるんですか!?」


こんな週数で無事なわけがないと思っていた私は子供だけが気がかりに…


先生「母体優先だから出すことになる」

と言われました。

そして

先生「ここでは出せないから今から受け入れてくれる大きな病院探しますが…受け入れてくれるところがあるかどうか…」


と、おっしゃっていましたが、

私はもう頭が真っ白。

まさか子供を失うことになるなんてー

っと、それしか頭になかったです。

幸い、すぐに搬送先の病院が見つかり、救急車を要請

主人と息子も診察室に呼ばれ主人は先生から説明を受けていました。


息子は泣きながら私のそばにいました。

息子をみて申し訳ない気持ちになり、またお腹の子にも申し訳ない気持ちになりました


『妊娠なんてろくなもんぢゃない…もう子供なんてつくらない』

とそのとき心で強く思った記憶があります。


そうこうしている間に救急車到着。

救急車まで運ばれる間、

夫に抱っこされている息子は大泣き。


このあと、母が産婦人科に到着で泣きじゃくる息子は母に預かってもらい、

夫は私と救急車に同乗、

また状況説明のために助産師さんも同乗し

救急車で大学病院へ搬送されることになったのです。